パンテーラ・ジャパン-北欧福祉情報

ローニー物語 −不屈の精神(後編)

Ronny Persson ローニー・パーソン(元プロスキーヤー / パンテーラ社所属)

(つづき)
滑り始めてから気が付くのだが、私はターンすることも止まることも教わっていなかったのだ。
どんどんスピードが上がるが、止まることはできないので、森を突きぬけ、谷底へ落ちてしまった。
半日かかってそこから脱出。いきなり大変な目にあった。もちろん、大怪我を負ってしまった。
でも、私は「これこそが私にぴったりだ」と思った。私の人生はこれだと思ったよ。

ローニーさん


ローニーさんそのころ、私は故郷よりもさらに北にあるウメオ大学で学生生活を始めた。
大変な田舎で、ビデオを借りるにも100kmも走らねばならないし、冬場は雪の中に閉ざされるので、食料調達も命がけだった。
そこで私は銀行を訪ねた。
スノーモービルを購入するための資金融資の相談だ。
冬に友達と遊ぶためのもので、いわばバイクみたいなものだが、それを銀行に理解してもらい、ローンを組むことができた。

ローニーさん1995年にスウェーデンの首都ストックホルムに出てきた。
そして、1998年長野パラリンピックの選手に選ばれた。
と言っても、メダルを期待されたわけではなく、まあ補欠みたいなものだね。
誰もが10位以内に入るとは思ってもいなかった。
そこで、私は勝負に出た。
かなり思い切った滑りができ、結果は銅メダル。
私はここから注目される選手になりました。

当時もパンテーラ社でパートタイマー(正確には季節工だね)として、夏場に働いていたが、正社員になるように勧められる。
それは、とても良い条件だったが、ちょうどその頃、私は別の夢を描いていた。
アメリカに移住し、プロスキーヤーになることであった。
それを実行するときがやってきたと思いましたね。

ローニーさんアメリカは、コロラドに居を構えた。
ここも雪の多いところで、年間を通してスキーの練習がたくさんできるトコロダ。

アメリカでは、十分な練習と競技に専念でき、友達もたくさんでき充実した7年間であった。
しかしプロとは言っても、私は貧乏で、雪のない季節にはストックホルムに戻り、4月から9月頃まで毎年、パンテーラ社で働きました。

2002年 ソルトレークシティ・パラリンピック 滑降(かっこう) (※注4) 銀メダル
2004年 世界選手権大会 滑降(かっこう) 金メダル
ローニーさん この写真のときは時速113キロを超えていた。

ローニーさんそして、その年には、Sport Parson of the Year with Disability(年間最優秀選手)にノミネートされた。
最後には名前を呼ばれることはなかったが、候補になっただけでもうれしかったね。

ところで、メダルの裏にこんな言葉が刻まれているのを知っていますか?
「心と体、そして勇気」です。
それぞれに大きな犠牲をしいられます。
そう努力もですね、必要です。
その結果としてゆるぎない勝利が得られるのです。

ローニーさんメダル

※注4) 滑降(かっこう)は、アルペンスキーの競技種目の1つで、アルペンスキーの競技種目の中では最もコースが長く、スピードも速い競技である。ダウンヒル(downhill)とも呼ばれる。スーパー大回転と並んで高速系種目に分類される。
滑降競技は、技術、勇気、スピード、リスク、コンディションの5つの要素によって特徴付けられ、コースはスタートからフィニッシュまで異なるスピードで滑り降りるようにしなければならないと規定されている。(国際スキー競技規則 702.2)
滑降競技はスピードが非常に高く、危険度が高い競技であるため、選手がコースから外れた際にぶつかる可能性のある障害物に対して高さのあるセーフティネット、セーフティフェンス、パッド、雪の壁、袋詰めされた藁等の方法で保護し安全性を高めている。それでも選手は練習中あるいは競技中の事故で大怪我を負ったり、最悪の場合は死に至る場合もある。


2006年のトリノをめざしていたのですが、結果を出せず、その前に引退しました。
私の競技者としての人生は終わったわけですが、振り返ってみると、私はとても運に恵まれていました。
たしかに転落事故は辛かったけど、車椅子に乗っていなければ、今の自分はなかった。
おかげで世界中を回ることができたし、世界各地に多くの友人を得ることができました。

100分の1秒を競うわけで、そのためのトレーニングは過酷でした。
氷点下の世界でずぶぬれになること、そして大きな怪我。
私の体にはたくさんの金属が埋め込まれ、全部で200針以上の縫い傷があります。
ところで、指導者にも恵まれたという話はわかりますよね。
覚えているでしょうが、最初の指導者は私のことを見抜いていたのですね。
わたしは、確かにまっすぐに滑り降りることで世界一になったわけですからね。

文責:光野有次


《番外編》 国際福祉機器展で
大日方さんとローニーさん国際福祉機器展のパンテーラ・ブースにローニーさんがいることを知り、大日方邦子さんが駆けつけてくれました。
旧知のメダリスト同士、話題は尽きないようでした。

大日方邦子さんもチェアスキーの世界トップアスリート。
パラリンピックやワールドカップでたくさんのメダルを獲得してきました。
パラリンピックのこれからありかたや課題がわかるがゆえに、これからもパラリンピックに関わっていく決意で、職場も変わり、今は2010年のバンクーバー大会をめざしています。

大日方さんとローニーさん大日方邦子さんは東京都出身。3歳で交通事故により負傷。高校2年からスキーを始める。

過去3回のパラリンピックの成績
1998年3月 冬季パラリンピック長野大会
<滑降1位 スーパー大回転2位 大回転3位>

2002年2月冬季パラリンピック・ソルトレイク大会
<大回転3位 回転3位>

2006年3月 冬季パラリンピック・トリノ大会
<滑降2位 スーパー大回転2位 大回転1位>

HCR2007国際福祉機器展にて開催された「RONNY PERSSON ワークショップ」ご来場の皆さまのアンケートの一部をご紹介させていただきました。→コチラをクリックしてご覧ください。


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